和歌山市議会 2018-03-05 03月05日-04号
その後、廃藩置県後の歩みですが、明治45年、城地は和歌山市に払い下げられ、和歌山城は市民の城として歩みを進めていくことになり、本来、人の出入りを制限する城に多くの人を迎え入れるため、遺構の破壊、改変を伴うアクセスの向上がたびたび検討されたということであります。
その後、廃藩置県後の歩みですが、明治45年、城地は和歌山市に払い下げられ、和歌山城は市民の城として歩みを進めていくことになり、本来、人の出入りを制限する城に多くの人を迎え入れるため、遺構の破壊、改変を伴うアクセスの向上がたびたび検討されたということであります。
維新後は軍部の管轄となりましたが、明治34年には和歌山県が城地を借り受け、和歌山公園として公開し、同45年には和歌山市に払い下げの許可がおりています。 それからは本市が保存・管理の任に当たっているわけでありますが、大正3年には東京帝国大学農科大学に和歌山公園設計案を委託し、翌年から5カ年計画で整備を実施いたしました。